Hurts

 

 


「痛・・・!」

「どうした?」

海の魔女・リクシィのもとへ行くとナーシェが決めてから、何時間も泳いでやっとたどり着いた、沈没船の横たわる死地。
まるで海の墓場のようなこの場所に、少し怯えてもいるが好奇心の強いナーシェは瞳を輝かせていた。
それまでは明るく温かい海面近くを泳いでいたが、ナーシェはすいと気の向くままに海底へと降りていった。
今に始まったことではない彼女の好奇心発動に、いつものかと思いながらもそれを追っていくと、ナーシェは割れた窓の奥をのぞいたり舵に触れたりと、怯えるどころか楽しそうにしていた。それまでの疲れなんて何のそのという感じで、泳ぎ回っているナーシェを少し離れたところで眺めている時、その声はナーシェの口を突いて出た。
それに気づいて近寄ると、ナーシェの尾びれにざっくりと切れ目が入っている。そこから出る血が、海流に乗ってゆらりと流れていた。どうやら、泳ぎ回っている際に何かの金具に引っかけて切ってしまったようだった。

「だから言っただろう」

「・・・何も言わなかったわ」

「いつも注意しろって言ってるだろう。おまえは注意散漫なんだ」

「わかってるわよ・・・でも見えなかったんだもの、ひっかかるものがあるなんて」

後から言っても遅いが、言わずにはいられないというものだ。そしていつも言われていることだから、ナーシェも決まり悪そうな顔だ。
その傷を見やってどうしたものかと考える。この傷で残りの距離を泳ぎきることは、かなり苦痛だろう。
後でリクシィから傷薬をもらうことは可能だが、取り敢えず今の状態で泳ぐのはつらいはずだ。止血できるようなものは持っていないし、傷口も広がるかも知れない。ナーシェは多少嫌がるだろうが、問答無用の実力行使に出ることにする。それに、ここからだともうそれ程遠くはないだろうから。

「ひゃぁっ、え!?ハル!?」

「文句を言っても無駄だ。あと少しで着くだろうから黙って抱えられてろ」

「だってっ、近いのならわたしだって、それくらいの距離は泳げ・・・」

「遅くなっても知らないぞ。怪我が悪化してもな」

「・・・・・・」

ナーシェはうろたえて、すぐにもハルの腕から抜けようとする。誰でもいきなり抱き上げられれば驚くだろうが、ナーシェも例外ではなく、少しだけ頬を染めて言い訳を繰り返す。おてんばな面も持ち合わせてはいるが、ナーシェも立派な年頃の女の子なのだ。
そのことももちろんわかっているし、自分を相手に頬を染めていることも悪くない気もした。ナーシェが言い返せずにいる間に、ハルは泳ぎ出す。バランスが崩れて、きゃあ、とナーシェが声を発するとハルは噴き出して、ナーシェはそのまま大人しくなった。どうやら早々にさじを投げたようだった。

「多分あと1時間ほどで着くだろうな。それまで寝ててもいいぞ」

「いいわ、起きてる」

「変ななところで強情だよな。だったらちゃんと捕まっていろ、速度上げるぞ」

今度はくすりと笑って、速度を上げる。それまではナーシェのペースに合わせて泳いでいたから、本調子を出してはいなかった。ぐんと早くなった速度に、ナーシェはあわててハルの首に捕まる。
力強くもなく、かといって恐る恐るという様子でもないナーシェの腕の力に、場違いながらも嬉しさを覚えた。このままぎゅうと抱きしめ返して、リクシィのところではなく遠い遠いどこかへ、ナーシェを連れ去ってしまいたいとさえ思った。そうすればこの腕を離すことはない。ナーシェと生き別れることもないのに・・・。

「ハル?ごめんね、辛かったらいつでも降ろしてくれて大丈夫だから」

ナーシェの見上げてくる目が気遣わしげだった。どうやら、知らずに辛そうな顔をしていたらしい。辛いわけではなく、ただ胸が痛むのだ。これから起こるすべてを思うと、まるで心に怪我を負ったように痛むのだ。
見上げてくる顔の近さに、そうっとくちびるを寄せたくなる。だが痛みも衝動も、知らせるつもりはもうとうない。それはナーシェの未来を少しでも曇らせるものだから。彼女の邪魔にしかならない想いは、いっそ伝えられることないまま消え去ったほうがいい。
だから、大丈夫だといつものように微笑んで見せてから、再び行く手に目を向けた。リクシィの屋敷はまだ、見えてこない。
そう、それでいい。もう少しだけこのままでいたかった。ナーシェを離したくはなかった。この時、一瞬だけでも長く。

 

もう少し、もう少しだけ。
軋んでは痛む気持ちを抱えながら、それとは裏腹の速さでリクシィの邸宅を目指した。

 

 

 

 

Continues to the main story...